スタージウのみなさま~こんにちは?
愛するジウさま~こんにちは?
みなさまの様々な想いのこもったリレーのバトンを
(ukifuneさまと同様の感覚です)
129回目の小さな愛の実践活動を通して
震災に見舞われた
日本の宮城県七ヶ浜町につないできました。
震災の日、3月11日は釜山でのイベントで
ジウさまに逢っていて・・・時間が経過して、
次々に届く映像が震災の重大さを
つながらない電話が心労を募らせましたが、
家族よりも家族のような、
スタージウメンバーと一緒に入れたことが、
心労を和らげてくれました。
ジウさまの震災に寄せられたコメントから
≪現地に行って手を差し伸べたい≫という想いから、
スタートした129回目の小さな愛の実践活動のバトンを
コースさま、sayaさんの長く眠る間もない準備期間を経て、
今回はスタージウメンバーが、様々な形で、
寄付金であったり、食材であったり、実際の活動であったり、
ひとりひとりが今できる最大限のバトンをリレーで心をつなぎ、
4月24日事前準備から実際の活動が開始され、
ここでもスタージウメンバーの友達やら家族を巻き込んで
食材の下ごしらえをしたようです。
自分は・・・24日は・・・釜山行きを1度あきらめた旅費で・・・
基礎から韓国語を勉強しなおしてみようと学費にあててしまい、
学校の授業があったので参加しませんでした。
すいません。
多くの食材と格闘されたみなさま~ご苦労様でした。
ありがとうございました。
授業が終了したころ食材のカットが終わり、
袋詰めの工程に入った所とのことでした。
自分は24日の夜の深夜バスで、
今回の震災で被害の大きかった
岩手県、宮城県、福島県に隣接している
比較的被害の小さかった山形県の実家に
25日の朝到着し、必要な物の準備をし
仙台組と東京から来るバスの
待ち合わせ場所へ向かいました。
そこは宮城県七ヶ浜町、自分が10年前くらいに
仕事で行っていた、多賀城市の先の町でした。
ニュースの映像で見るよりも、過酷な現実が
目の前にありました。
バスの中で・・・
≪hiroeさんはチヂミ班≫と言われたはずですが・・・
25日の夕食準備の時も、26日の昼食準備時も・・・
≪hiroeシー≫とコースさまに≪hiroeさん≫とsayaさんに
呼ばれるたびに、やっている作業を放り出してすぐに、
次の作業へと移行してゆく私の姿は、いつもの韓国での奉仕活動と
雰囲気は変わりのない感じでした。
ただ、誰も下見したことのない会場で、いろいろな困難がありました。
25日は、洗い場がそばにないとか、
駐車場のバスまで、食器関係などを探しに行ったりとか
26日は、テントや釜などの運搬等とう・・・
ただ、両日とも準備の終盤には、スープの釜のそばで、
25日は、タラのスープへの・・・とき卵の投入の仕方、
26日は、スペシャルスープへの・・・餅の投入の仕方などなど、
コースさまのお叱り?!を受けつつも、お手伝い、これもまた
いつもの韓国での奉仕活動と雰囲気は、変わりのない感じでした。
ただ両日とも作る量が多く、開始から片づけ終了まで、
ジウさまからスタートした想いを
スタージウメンバーと周りの人々が協力して、
寄付金であったり、食材であったり、実際の活動であったり、
ひとりひとりが今できる最大限の想いのバトンリレーを心でつなぎ、
走り続けて、避難所で炊き出しをしてくることが出来ました。
ありがとうございます。
七ヶ浜町の避難所を後にして、
私たちもこの2日間ほとんどの食事を
バスの車中でしてきたような状態だったので、
バスの運転手さん含め、食堂で
ようやく落ち着いて食事をする時間を持ちました。
食後~駐車場にて、東京からバスで来たメンバー
東北から参加したメンバー、
東京からバスで来たけど、仕事があるので仙台駅に向かうメンバーと
そこで別れ、最後の重要なバトンとともに
ひとりで実家への帰路につきました。
急にみなさんと別れ、ひとりになるとさびしいので、
高速の村田ジャンクションまで、実は東京から来たバスの後ろに
くっついて走っていました~仙台東で高速に乗ったとたん渋滞で、
東京には何時頃ついたのでしょうか?
自分は20時半ごろ実家へたどり着き、
最後のバトンを家の両親に託し、
21時55分発の夜行バスで、
東京に戻り、直接職場に向かいました。
いまごろゆっくりゆっくり、
家の両親が、土に返せるものは、土に返しながら・・・
リサイクル出来るものは、資源ごみとして・・・
ちゃんと分別して、バトンリレーのアンカーとして
ゆっくりやっているそうです。
129回目の愛の実践活動としては、ゴールを迎えましたが、
いろいろな形で参加したみなさんが、今回の想いを胸に
新しいスタートに立っていると思います。
震災の影響自体は、今も現在進行形で、
自分たちは数で比較して、災害の大きさを測るけれど、
失ってはいけない、大切なひとつの命をなくした人には、
かける言葉すら見つけられませんが・・・
とりあえず出来る事があるとすれば・・・
想いをつないで未来に、失ってはいけない、
大切なつながりを新しく築いてゆくことなのではないかと思います。
私たちが、ジウさま愛するファンとして想いをつなげて、
今回の小さな愛の実践活動をしたように・・・
追伸:今回、ご一緒したみなさま~奉仕活動中は、ゆっくりご挨拶する時間もなく~
話している余裕があると、≪hiroeシー≫と呼ぶ声が聞こえてきますので(笑)
コースさま~張り詰めていた気が抜けたのか、最後の食堂で
少し風邪気味でしたが~大丈夫ですか?ゆっくり休んでくださいませ。
sayaさんもゆっくり休める時間を見つけて休んで・・・
どうやら翻訳をたのまれているのですねぇ~
と言うことは、アンカーはsayaさんで、バトンを
スタートのジウさまに戻してくださいませ。
댓글 '25'
hiroe様 お疲れ様でした。
詳しいUPを読み続けて大変さが胸にこみ上げて、事前活動そして過酷なボランテアに
参加された皆様全ての方に、ご苦労様と申し上げます。
ジウ様を愛する一人、一人の力がこんなに強く、不可能?などないと今回のボランテアで
参加された方々のUPで知る事が出来ました。
hiroe様の大活躍ぶりには、いつも感心させられ、今回はご実家にまで後始末・・・申し訳ないことです。
韓国語の勉強を始められたとか・・・やはりhiroe様は姫のナイトですから・・・韓国語をマスターして
ジウ姫とSJをいつまでも愛して頂きたいです。
この度のボランテア、本当にありがとうございました。
参加出来なかった者として感謝を心より申し上げます。
ゴールディングウィークはしっかりお体を休めて、次は韓国でしょうか?
hiroeシー
スゴイッスムニダ
最後のバトンの量の拡大を限りなくおおせつかったwkiwkiです
被災者さんたちが食べた容器を見つけるのに、動き回り・・・
もともとあった可燃ごみも実はバトンに入れてしまいました
hiroeシーのこの縁の下の仕事はすごく大きなものでした
いつか恩返しをしますね(要らないといわないでねー)
hiroeシがまったく寝ずに現地に到着されて、自動車で準備品やバトンを運び
また夜行バスで東京に戻って
朝から仕事へ行くという
ハードな動きに
正直心配していました
無事に後記も書かれて、安心しました
GWはゆっくりと韓国語の勉強に励んでください